2017/09/06

看護必要度の議論には、患者像、病院像に迫るデータの準備が必要だ

先月、中医協の入院医療の分科会を傍聴しながら考えていたことを書いた。

看護必要度の議論には、マクロな情報とミクロな情報をバランス良く揃えることが重要 - 医療、福祉に貢献するために 看護必要度の議論には、マクロな情報とミクロな情報をバランス良く揃えることが重要 - 医療、福祉に貢献するために

看護必要度の議論は、病院団体などを中心に「慎重に」という意見が多く出てきており(看護必要度見直しけん制、日病や日看協がタッグ - 医療介護CBnews)、主張している点は非常に良く理解できる。一方で、改定でまったく手をつけないことも考えにくいだけに、限られた時間で建設的な議論がなされることが重要だろう。

冒頭で引用した先月のブログ記事では、看護必要度の数値の散布図を見て、次のように述べた。
マクロな視点で、下記のような看護必要度が30%台後半、40%台の病院がある・・・ということが示されたのは面白かった。分科会では「スーパー10対1」といったように言われていたかと記憶しているが、このような病院の実態をミクロな視点で把握することは、何かしら参考になると思う。
ミクロな視点で捉えるべく、病床機能報告のデータから分析を試みた。その分析結果を交えながら、あるべき制度設計についてCBnewsの記事で述べさせていただいた。

同じ看護必要度でも7対1と10対1では患者像は異なる - CBnewsマネジメント 同じ看護必要度でも7対1と10対1では患者像は異なる - CBnewsマネジメント

かなり分かりにくい表現・分析結果になってしまったと反省しているが、いつもながら校正で大幅に見直していただき、何とか形にしていただいた。個人的には非常に興味深いデータで、多くの示唆を得ることができた。

議論はただ時間をかければよいのではなく、必要なデータを揃えた上で議論することが重要である。看護必要度の制度検討には、背景に患者の受療行動の変革や、行政の意識改革など、オペレーションを変えていくのに時間のかかる部分があることは事実だが、議論に耐えうるデータがないことを理由に制度検討自体に時間をかける必要はない。このような理由で慎重に議論を進めていれば、2025年、2040年はあっという間にやってきてしまうだろう。